同窓生寄稿文

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2期生 田中 諭です

 私が貝塚南高校を選んだのは、単純に通学が近く自転車通学出来た事と、制服がこの辺りでは珍しいブレザーで楽そうに見えた? そんな理由でした。
 そして入学、当時は食堂はおろかプールも体育館も無く入学式も何処でやったか記憶に残っていませんが、鮮明に記憶に在るのは、全体朝礼で(未だ3年生は居ません)グランドに横一列に並びグラウンドの石ころを手当たり次第に拾って往復することを何度かしたことを覚えてます(このグランドで走って転倒したら普通の擦り傷では済まないと思われる状態のグランドでした)。
 あと高校時代の思い出と言えば、良くも悪くもクラブ活動しか無いでしょう、中学から柔道部だった為、同級生が監督(日体大卒業したての夜久先生)に経験者である事をバラされ逃げられず入部、卒業するまで稽古地獄の高校生活でした、中学時代(指導者が居ない)の練習内容とは質も量も桁違いの稽古に何かと理由を付けて逃れようと試みるも見抜かれて更にしんどい目に遭う等、当時の部員なら多かれ少なかれ経験しているはずです、然し試合で勝てる様に成ると喜びや自信が持て、今になってみれば充実した高校時代でした。
 そして卒業後は長年の希望で自動車整備士を目指し岐阜県に在る中日本自動車短期大学に入学しましたが、そこでも先輩に耳が潰れているのを見つけられ、又もや柔道部に入部する羽目になり高校時代とはまた違う上下関係の厳しさを知る事と成りました。
 そこで2年間の短大生活の約1年間、学生課に勤める先輩の紹介で、新しく開く道場の住込み管理人兼師範代(とわ言え少年の部の4歳~小学生担当)として半ば無理やり送り込まれ書生生活、一般の部の稽古(高校生以上)では、元全日本選手やインターハイ出場を狙える選手などもたまに参加し一緒に稽古したりと、良い経験もさせて頂きました。
 卒業後は地元に戻りトヨタの整備士として入社後、サービスフロントから営業マンと約30年間サラリーマン生活を過ごし、退社後の現在まで家内が営む学校食堂を手伝いながら自動車関係の仕事も続けており、そこそこ忙しくさせて頂いております。
地元に戻ってからは祭礼にも参加させてもらい、63歳なる今年もまだ祭礼にも携わっている次第ですが、コロナウィルスの影響で2年間祭りが止まりました、今年こそはと力んでみてもこればかりは・・・。
さて、来期で学校創立50周年という事ですが、大阪南部で新設高校の先駆けとして開校し、ようやく伝統らしきものが出来てもよい年数だと思いますが、少子化の影響で生徒数の減少(我々の時代の半数以下)、周辺では統廃合されていく現状を見て、時代の流れとは言え我々創立期の卒業生はそうは成らないで欲しいと思っているはずです、私も同窓会の一員として先ずは50周年記念事業の成功と、60周年・70周年と存続して行って貰えるように微力ながら協力させて頂きたいと思っております。
 貝塚南高校創立50周年おめでとうございます。

令和4年4月 貝塚市在住 2期生 田中 諭